2013年12月29日日曜日

この本は良かったNo.4


2009年秋、当時35歳だった木嶋佳苗の周りで、多数の男性が不審死した事件が話題をさらっていた。やがて別の連続不審死事件が浮上してきた。現場は鳥取、主役は上田美由紀、スナックのホステスだった。
筆者は町を歩き、スナックに通い、裁判を傍聴する。
そんな現地調査の詳細が描かれている。
そもそも、この両犯人はデブで、お世辞にも美人とは言い難い容貌である。
そんなホステスに何故、新聞記者や大学教授等の立派な職業についている男達が、溺れ、貢ぎ、翻弄され、自殺に追いやれれ騙されたのか?

男という性の持つ弱点を知り抜いていたのか・・・

とても面白かった。

    2013年12月24日火曜日

    I have never been to me ~美しい曲に隠された、ある女性の辛い体験

    ある日車を運転していたら、この美しい曲が流れてきた。
    「たしかコーヒーのC,Mで聞いたような・・・」と思いながら、その美しい歌声とメロディーに聞き惚れていた。(運転中なのに危ないヽ(`Д´)ノ)

    そして、その詩が歌のイメージとはかけ離れた、ある女性の悲痛な体験が隠されていることに気付き、Uーtubeで検索してみた。

    この歌は、アメリカのシャーリーンという歌手が歌っているのだが、この歌手は小さい時から、「天才だ」と言われつつも、なかなか目が出ず、私生活も麻薬や離婚(17歳で女の子を出産)もかなり荒廃していたようだ。

    1977年にやっとのことで、この曲をレコーディングするが全く売れなかったそうだ。本人も諦めて芸能界を去り、再婚して田舎の小さな菓子屋の店員として暮らしていた。

    そんなある日、あるラジオ番組がこの曲をたまたま流したら、その後問い合わせの電話が殺到して、あっという間に全米チャート3位に躍り出て、世界でも大ヒット!

    レコーディングから何と6年が過ぎていた。本当に本人もビックリしたらしい。

    ちなみにこの曲は、作者がシャーリーンの身の上話を聞いて、書き直した曲で、言わば彼女のために作った曲だそうだ。シャーリーンも初めてこの詩を読んだときは、感動でむせび泣いたらしい。

    シャーリーンの運命の曲となった。

    *まず、U-TUBEでお聞きください
    http://www.youtube.com/watch?v=QhQWND9jKDA


      また、下に自分なりの訳詞と原詩を紹介させていただいております

    (日本語訳)

    愛はかげろうのように

    ねえ あなた 人生を呪っているあなた
    満たされない母であり 夫に束縛されているあなた
    きっと、自分ではできそうにない 非現実的な甘い夢を見ているのね
    でも誰かが こうやって私に話しをしてくれていたらなあ、と思うの
    ちょうど私が今からあなたに話すように

    ジョージアだって カリフォルニアだって 
    現実から逃げれる所だったら どこへでも行ったの
    牧師の手を取って 太陽の下で愛し合ったこともあるわ
    でも どうしても 自由になりたくて
    住み慣れた場所や優しい人たちのところから 何度も逃げ出したの

    私は楽園には行ったことがあるけど
    (充実し満足した)私自身の世界には 今だに行たことがない


    ねえ お願いだから まだ行かないで
    どうしても あなたに伝えておきたい 私がなぜ 今独りぼっちなのかを
    あなたの瞳には 昔の私と同じものを感じる
    数え切れないほど嘘をくぐり抜け 疲れ果てた心を
    私と分かち合いたいと思わない?

    私は楽園には行ったことがあるけど
    (充実し満足した)私自身の世界には 今だに行ったことがない

    ニースも ギリシャの小道にも行ったし
    豪華なヨットの上でシャンパンも楽しんだわ
    モンテカルロでは ジーン・ハーローみたいな夜の蝶になって
    私の色香を男達にひけらかしたわ
    たくさんの偉い男達と寝て
    女が決して見てはならないものも見てしまった


    私は楽園には行ったことがあるけど
    (充実し満足した)私自身の世界には 今だに行ったことがない

    (語り▽)
    ねえ 楽園って一体何だと思う?
    楽園なんて 嘘なのよ
    こういう所があったらいいなあ、こういう人がいたらいいなあ、
    と思う気持ちが創り上げた幻想にすぎないの

    じゃあ 本当の幸せって?
    それは あなたが今抱いているかわいい赤ちゃん 今朝あなたが喧嘩した男性
    そして今夜はまた その男性と愛し合う
    それが本当の幸せ それが愛というものなの
    (語り△)


    産まないことにした赤ちゃんを想い 泣いた日もあるわ
    もしかしたら その子は私に完璧な人生をくれたかもしれないとも思う
    でも私は 快楽を選んだ
    まさか 快楽が苦痛に変わる日がくるなんて 思いもしなかった

    体を売を売りながら 生きてきたのよ
    自由を手に入れる代償としては あまりに大きすぎたわ


    私はパラダイスには行ったことがあるけど
    (充実し満足した)私自身の世界には 今だに行ったことがない

    私はパラダイスには行ったことがあるけど
    (充実し満足した)私自身の世界には 今だに行ったことがない

    (英語歌詞)


    I've Never Been to Me

    Hey lady, you lady, cursing at your life
    You're a discontented mother and a regimented wife
    I've no doubt you dream about the things you'll never do
    But, I wish someone had talked to me
    Like I wanna talk to you.....

    Oh, I've been to Georgia and California and anywhere I could run
    I took the hand of a preacher man and we made love in the sun
    But I ran out of places and friendly faces because I had to be free
    I've been to paradise but I've never been to me

    Please lady, please lady, don't just walk away
    'Cause I have this need to tell you why I'm all alone today
    I can see so much of me still living in your eyes
    Won't you share a part of a weary heart that has lived million lies....

    Oh, I've been to Niece and the Isle of Greece while I've sipped champagne on a yacht
    I've moved like Harlow in Monte Carlo and showed 'em what I've got
    I've been undressed by kings and I've seen some things that a woman ain't supposed to see
    I've been to paradise, but I've never been to me

    [spoken]
    Hey, you know what paradise is?
    It's a lie, a fantasy we create about people and places as we'd like them to be
    But you know what truth is?
    It's that little baby you're holding, it's that man you fought with this morning
    The same one you're going to make love with tonight
    That's truth, that's love......

    Sometimes I've been to crying for unborn children that might have made me complete
    But I took the sweet life, I never knew I'd be bitter from the sweet
    I've spent my life exploring the subtle whoring that costs too much to be free
    Hey lady......
    I've been to paradise, (I've been to paradise)
    But I've never been to me

    クリスマス パーティ

    今年もクリスマスパーティの季節がやって来ました。
    私のスクールでも、手作りのパーティを5日間に分けて、催しました。

    イエスキリストの生誕にまつわる紙芝居ストーリー、DVD、「赤いお鼻のトナカイさん」の英語原本
    読み聞かせ、ゲーム等で盛りたくさんの内容となりました。

    でも、子供たちが大好きなのは、やはり「プレゼント交換」です。
    中には、自分が用意してきたプレゼントを手放したくない子供もチラホラ。

    やはり子供の世界は大人には理解し難いものがあります。






    2013年12月17日火曜日

    興味深いお話No.35~大航海時代の歴史を包むエンパナダ~

    先週の「南米のクリスマス」のクッキング交流では、焼きたての美味しいエンパナダをお腹一杯いただいて、至福の時を過ごすことができました。
    でも、このエンパナダも、大航海時代の過酷な歴史を今に伝えているのです。
    料理を指導してくださった、スティーブさんにお話を伺いました。

    私)先日はおいしいエンパナダをありがとうございました。ところで、「エンパナダ」って、どう言う意味があるのでしょうか?

    スティーブ) 私も楽しい時間を過ごすことができて、ありがたく思っています。「エンパナダ」の意味ですが、スペイン語では「エンパナール」と言われます。「エン」は「中」、「パナール」は「パン」と「ロール」がくっついて発音されてるんです。英語に訳すと「roll in dough」と言う意味なんです。

    私)そう言えば、日本語の「パン」はスペイン語でも「パン」なんですよね。スペイン語をそのまま使ったんですねー

    スティーブ)そうですね。ところで、このエンパナダは南米では全ての国で、クリスマスの頃作って食べるんですよ。

    私)そのようですね。ところで、このエンパナダはいつ頃、スペインから南米の方に伝わったのでしょうか?

    スティーブ)記録によるとスペインが南米にやって来たのは、約500年前だそうです。スペインだけでなく、フランスやドイツ、イタリア、ポルトガル等からも多くの移住者がやって来たのですが、その90%は先ずアルゼンチンに住み始めたのです。

    私)スペインの植民地とか聞くと、私達はすぐ「メキシコ」や「ペルー」を連想しますが、アルゼンチンが最初だったんですね。

    スティーブン)そうですよ。今でもアルゼンチン南部に行くと、フランスやドイツ風の建築が立ち並び、住民も白人が殆どで、ヨーロッパそのものです。言葉もイタリア語やフランス語がけっこう使われてますよ。
    アルゼンチンの次に植民地化したのはチリですから、チリも本当にヨーロッパそのものの国ですよ。

    私)そうなんですね。
    これは、ペルー出身の方から聞いたんですけど、アルゼンチンやチリでは原住民の殆どはスペイン軍に殺されたそうですね。

    スティーブン)それは本当ですよ。アルゼンチンやチリでは原住民の人口は2~3%位しかいません。原住民を一掃したと言っていい程、殺戮したんですから悲惨な歴史です。

    私)でも、ペルー等の南米北部にある国々では、原住民もそんなに殺さなかったみたいですね。原住民を殺しすぎて、労働力が不足してきたのが原因だそうですね。

    スティーブン)はい、それで方向転換したみたいです。労働力不足を補うために、原住民だけでなく、アフリカからたくさんの奴隷も連れて来られました。

    私)「コーヒールンバ」と言う歌は私も好きなんですが、あれは南米のコーヒープランテーションで働く黒人奴隷の歌で、陽気な曲とは裏腹に、歌詞は哀愁が漂っていますね。

    スティーブン)本当ですね。

    私)ところで、先日使われていた大きな「生地メーカー」はアメリカ製だそうですね。日本で買われたんですか?

    スティーブン)いえ、いえ、日本で買うと何でも倍近い値段になりますので、インターネットでアメリカから取り寄せました。送料を入れても、日本で買うよりグンと安いですからね。

    私)その機械を作っている会社には長い歴史があるのでしょう?

    スティーブン)そうなんですよ。「キッチン エイド」と言う会社ですが、この会社の歴史は1800年代の終わり頃に遡り、あるアメリカ女性が創業した会社なんです。

    私)1800年代の女性起業家ですか、凄いですね!
       
    スティーブン)その頃、ある裕福な奥様が、自分の召使い達がよく皿を割ってしまうのに腹を立て、「皿洗い機が欲しいわ。誰も作ってくれないなら、自分で作る!」と言って、本当に作ってしまったんです!

    私)さすがパワフルですね。

    スティーブン)作り始めて7年後には世に出すことが出来たそうです。もちろん最初から家庭に普及したわけでなく、始めはホテルや大きなレストランで使われていただけでした。

    一般家庭に普及しだしたのは1950年代になってからでした。
    そして彼女は、自分の皿洗い機をもっと生産するために、会社を設立しました。それが「キッチン エイド」の始まりです。

    私)「キッチン エイド」は「台所のお手伝い」という意味で、とても女性的な良いネーミングですね。
    私も彼女のパワーを見習いたいと思います。今日は楽しいお話、ありがとうございました。


    2013年12月9日月曜日

    南米のクリスマス



    12月7日(土)に、スティ-ブンを囲んでの外国料理クッキングを楽しみました。
    この日のメニューはクリスマスにちなんで、スティ-ブンが小さい頃過ごしたアルゼンチンで、最もポピュラーなクリスマスメニューである、「エンパナダ」作りを体験しました。



    西洋料理に欠かせないのが、この「ドウ メーカー」です。パン類、麺類、パイ生地作りなどに大活躍です。部品を変えればパスタ作りやソーセージも簡単にできるそうです。
    スティ-ブンが自分のを持参してくれました。
    アメリカ製の機械です。


    外国料理は「大さじ、中さじ、小さじ」は使わず、基本的にこの
    「テーブルスプーン、ティースプーン」を使います。


    スティ-ブンの指導のもと、さっそく材料のカットから始めました。外国料理はみじん切りも大ざっぱでOKなのが特徴です(^-^)


    「手でこねたら1時間はかかりますよ」とのエンパナダの生地も,ドウメーカーを使うとたった15分ぐらいで出来上がりました。それをスティブンが麺棒(大きい!)で伸ばします。
     引きが強く、汗が出るぐらい力が要ります。

                男性参加者も挑戦です!強力粉ですから、力がこもります。


    この日は2種類のエンパナダを作りましたが、そのひとつは、ひき肉やトマト、チーズをふんだんに使いました。カロリーが心配!(´Д`)

    中にはさんで、淵をカッコ良く仕上げて出来上がりです


    約20分ほどで、コンガリと美味しく焼きあがりました!

    クリスマスの雰囲気たっぷりのチョコレートムースです。
    これはスティーブンが前夜に自宅で作って来てくれました!
    Beautiful !!



     いただきまーす(*^_^*)

    焼きたてエンパナダは、一口かじると中からミートジュースがジュワッジュワッと出てきて、
    思わず「ウ~ン」と感嘆の声が出てしまいました。もうひとつのエンパナダは、ハム、ベーコン、チーズ、トマトをふんだんに使い、これまた高カロリーながら美味でした。

    またチョコレートムースは、スティブンが腕によりをかけて作っただけあって、とってもスムース!すごく美味しかったですよー
    カロリーを心配しながらも、しばしの口福にハッピータイム・・・(´∀`)




    参加者のKさんは10代の頃から南米に興味を持たれ、何度も旅行に行かれています。
      この日は、御自分の伝統衣装コレクションからアルゼンチンの民族衣装3枚を御持参いただき、御披露くださいました。
    ヤングママ達のファッションショーで盛り上がりました。

    衣装の説明をされるKさん。南米の楽器も演奏されるとか・・

     

    今回は子供達の参加者も多く、会場に一層のエネルギーと微笑みを与えてくれました。

    Thank you so much for attending, everyone.
    Please come to the next program too.

    2013年12月8日日曜日

    この本は良かった~ No.5 「海賊と呼ばれた男」


    2013年の本屋大賞に輝いた本です。

    「出光興産」の創業者をモデルにした小説ですが、実録を基に、戦前&戦後の社会の様子や政治の流れが、あたかも自分がその時に生きていたかの様に浮かび上がります。
    さすが百田尚樹です。膨大な資料を徹底的に調べて書いてありますので、本当に面白かったです。

    しかも「石油」の観点から見た官僚政治へも切り込みも、胸がすく思いです。

    でも、その時代の主人公達は、自分の事より、社会のため、日本のために献身的に働いています。

    そういう人達が、日本を救い発展させて来たことでしょう。

    今後はどうなるのでしょう?
    先ず「自分の利益」を優先する人が圧倒的に多いです。おまけに「秘密保護法」も強行採決され、ますます官僚や政治家の利益優先の日本になっていく事でしょう。

    そう思うと、長生きしても良いことなさそうな(^-^)


    2013年12月4日水曜日

    興味深いお話シリーズNo.34~アフリカのお葬式

    今回のテーマは「お葬式」です。

    私も日本のお葬式には慣れ親しんでおりますが、外国のお葬式は普段の会話にもあまり登場してきません。
    先日、お父様を3ヶ月ほど前に亡くされたアフリカ出身のチケさんとお話してましたら、話題がいつの間にか「アフリカのお葬式」になっていました。
    とても興味深いお話でしたので、皆様とシェアさせていただきたいと思います。

    私)今週の土曜日(7日)の、国際交流クラブのクッキングの集いには参加できそうですか?

    チケ)それが、亡くなった父の葬儀がちょうどその日になってまして、私もその時間帯に合わせて、日本からずっとお祈りをしますので、ちょっと出席できなくて残念です。

    私)エッ、確かお父様が亡くなられたのは、3ヶ月ぐらい前だったと思いますが、まだお葬式はされてなかったんですか?

    チケ)以前にもちょっとお話しましたが、アフリカでは短くて2週間、長くて1年ほど、遺体を防腐処理して安置しておくんです。その間、多くの人達が故人にお別れを言いに来るんです。

    私)1年も安置されたりもあるんですね!

    チケ)はい、でもお金もかかりますからね。色々な事情を考慮して、遺族が期間を決めます。私の家族の場合は、話し合って3ヶ月になりました。

    私)では、お父様のご遺体は病院に安置されているのでしょうか?

    チケ)いいえ、日本の葬儀会館の様な大きな「遺体安置センター」の施設がたくさんありまして、そこにはちゃんと遺体の付き添いや
    お世話をする専門家もいるんです。

    私)そうなんですねー!

    チケ)私の兄は2週間に一度はそこを訪れて、亡き父とお話をしてきました。私がナイジェリアにいたら、私も父とお話をしに、そこをよく訪れたと思います。

    私)そのお気持ち、とても良く解りますよ。
      では、その安置期間が終わって、いよいよお父様の葬儀が行われるんですね。

    チケ)はい、この遺体安置期間は、葬儀準備期間とも言えるんです。アフリカの葬儀は盛大で賑やかに行われます。
    先ず教会でお別れのお祈りをしますが、これは静粛に行われます。
    その後、家に連れて帰ってから土葬をします。そして土葬の後、盛大に葬儀を行います。

    私)その、ある長い期間遺体を安置するのは、アフリカ独自のものなのでしょうか?

    チケ)いえ、西洋社会ではけっこう行われてますよ。マイケル ジャクソンもそうだったでしょう?

    私)そうですねー。やはりキリスト教と関係があるのでしょうか。
    ところで、お父様は家の近くの墓地に葬られるのでしょうか?

    チケ)いいえ!家の敷地内に葬ります。皆で深い穴を堀り、お別れしながら葬るのです。
       父は母と市内に住んでいましたが、田舎にふる里があり、家もあるので、その家の敷地内に葬ります。それが一般的です。墓地に葬られるのは、普通は家が無い人です。

    私)えー、それは驚きです!言わば、お庭に葬られるのですね!
      アフリカ人って、故人を本当に大切にするんですねー。
      いつかアフリカのお葬式の動画を見せていただきましたが、凄く賑やかな、まるでお祝いの様なんですね!

    チケ)そうですね。大勢の人達がそれぞれの伝統的な音楽を演奏したり、踊ったりするんです。
    何年も会ってない友達や親戚も集まるし、とても盛大です。

    私)日本人の感覚から言うと、お葬式にお祝いのように騒ぐのは憚られますが・・・・

    チケ)私達も、まだ若い人とか子供とかが亡くなった場合は、葬儀の時も悲嘆にくれてシンミリとなりますが、父のように天寿を全うした人の場合は、「天国に召された」との意味もあり、悲しみを通り越して、お祝いのような気持ちになるんです。皆が寄って、楽しい時間を過ごすのを見て、父も喜ぶことでしょう。

    私)そうですね、仏教的に言えば「来世への飛翔の時」とも言えそうです。その考え方も参考にさせていただきたいと思います。ありがとうございました。





    2013年12月3日火曜日

    クリスマス イルミネーション in my garden



    今年もマイガーデンにクリスマス イルミネーションを飾りました。
    「ヨーロッパ」と名のついた木も、昨年よりちょっとだけ背が高くなり、その分ツリーの高さも増して
    カッコ良くなりました。
    チューブライトは、アーチや手前のツツジや山茶花に這わせてちょっと野性的&大胆にしました。

    でも、このイルミネーションを見ていると、どことなく明るい気分になり、
    パワーが出てくるようで、そこが気に入っている私です。



    ジョン レノンに捧げる歌

    *この原稿は朝日新聞に投稿したものです。
     でも、ブログに公開すると載せてもらえないそうです。
     次回からは、ずっと後で公開しよっと!!(^_^)


    私も幸運にも、福岡で行われたポール マッカートニーのコンサートを見に行くことができた。
    あれから一週間経った今も興奮冷めやらず、余韻に浸る日々を過ごしてる。

    特に今は亡きジョンレノンに捧げられた歌は、一段と心深く染み入った。

    「次の歌はジョンに捧げます。彼が生きていたらきっとこんな会話をしていたことでしょう」
    と、美しいギター演奏とともに、ポール特有の澄みきった歌声が静かに流れ出した時、

    私は昨年訪れたリバプールの、ある教会のことを思い出していた。

    その教会は、ジョンレノンが住んでいた、彼の叔母さんの家の近くにあり、
    まだ10代のジョンはその教会で催されるイベントで、友人とバンドを組んでよく演奏していたそうである。

    そこへある日ポールがやって来て、「自分も仲間に入れて欲しい」と申し出たのだった。


    ジョンレノン17歳、ポールマッカートニー15歳の7月6日の出来事であったと言われている。

    この歴史的とも言える出会いの日以来、音楽の歴史を変える程の数々の名曲を生んだ2人は、
    紆余曲折はあれ、想像を超える強い絆で結ばれた関係であったことだろう。

    「・・・君と出会ったのはいつごろだったかな
    きっと君はこう言うだろう
    何かをつかむ為に がむしゃらにギターを弾いていたよ・・・」

    リバプールのあの教会は、きっと今も二人の出会いを祝福してくれていることであろう。